論語・菜根譚に見る人間関係キホンのキ
構成:野澤正毅
編集:プレジデント社
「一歩を譲って前進する」他人への寛大さがコミュニケーションのカギ
大阪大学大学院人文学研究科教授 湯浅 邦弘氏(ゆあさ・くにひろ) 大阪大学大学院文学研究科修了。北海道教育大学講師、島根大学助教授、大阪大学助教授を経て、2000年4月から現職。専攻は中国哲学、中国古代思想史の研究、および大阪大学の源流「懐徳堂」の研究を行う。著書に『菜根譚 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』(KADOKAWA)、『中国思想基本用語集』(ミネルヴァ書房、編著)など。 |
~中国古典は“処世訓の宝庫”
職場や組織内におけるコミュニケーションの取り方は、多くの人にとって悩みの種。そんな人間関係の問題に対する一つのソリューションとしてお勧めなのが、中国古典に学ぶことです。中国古典は処世訓の宝庫。「五十歩百歩」は『孟子』、「出藍(しゅつらん)の誉れ」は『荀子』といった具合に、今でも処世訓として使われる故事成語の多くが、中国古典を出典としています。
中国の歴史からは多くの名著が生まれていますが、特に処世術に関するエッセンスが詰まっている書物が『論語』と『菜根譚(さいこんたん)』です。
『論語』は、儒家思想の始祖である孔子と高弟の言行録で、孔子の死後、弟子たちが記録を持ち寄り、編纂したものとされます。歴史上、『論語』が登場したのは周王朝が衰微し、分立した国家が覇権を争った「春秋戦国時代」。学問の世界でも、「諸子百家」と呼ばれる多くの思想集団が生まれ各々の学説を主張した、文字通り百花繚乱の時代でした。
儒家の特徴は、人間社会を営む上で「仁」を根本に置いたことでしょう。仁とは、わかりやすくいえば他人への誠実さや思いやりを重視する、人間同士の望ましい関係性とされます。儒家は仁を重んじて、人間が家族や集団、地域との円満な関係を築く、安定的なコミュニティ形成を目指したのです。
~現代でも生きる!人心掌握ノウハウ
諸子百家の中でも、韓非子が唱え、戦国の世を統一した秦に採用された法家思想は、ルールで人間を規制し、社会秩序を維持する考え方です。集団を統制する即効性には優れていますが、支配者が上意下達で律する管理社会であるため、王の資質次第で衰退し、社会が乱れ、農民反乱などで王朝が滅んでしまいます。対して、『論語』には「これを導くに徳を以ってし、これを斉える(ととのえる)に礼を以ってすれば、恥有りて且つ(かつ)格る(いたる)」という言葉があります。つまり、「道徳や礼儀に反する行いをすれば、恥をかく」とすべての人間が自覚し、自らの行動を律することで、社会秩序を維持しようと考えたのです。法家が外圧(法)で国民を動かすのに対して、国民を内面から変え、権力者の目的通りの行動をするように仕向けるのが、儒家の考え方であったともいえるでしょう。儒家思想は、法家に比べ教育などで浸透させるのに長い時間を要しますが、政情の安定には大変有効です。これは江戸幕府が儒家思想を利用し、「太平の世」を実現したことからもうかがい知れるでしょう。
『論語』といえば内省的な「道徳の書」というイメージが強いかもしれませんが、もともとは儒学生が諸国の官吏になるため、就活(プレゼン)のノウハウなどを学ぶ実用の書でもありました。読み解いていくと、現実社会でも十分に活用できる実践的な知見が豊富に盛り込まれていると気づくはずです。
「君子は人の美を成す」というフレーズが『論語』には登場します。理想的な指導者であれば、メンバーを日頃からよく観察することで、才能や長所を見抜き、彼らの美点を生かすといった意味です。自分のことをしっかりと見て、得意分野を任せてくれるような教師や上司であれば「ついていきたい」と誰しも思うのではないでしょうか。手間と時間がかかりますが、人心を掌握するには、極めて効果的な方法といえます。
~逆境を乗り越える「プラス思考」の教え
一方、『菜根譚』は、明代末期に成立したとされる随筆集です。処世訓を集めた書物としては、中国史上最高傑作と評価されています。著者の洪自誠(こうじせい)は、高級官僚を務めた教養人、「士大夫(したいふ)」だったといわれています。
『菜根譚』の教えは、逆境を乗り越える糧になると私は考えています。例えば、器に少ししか水が入っていなくても少なさを嘆くのではなく「もっと水が入るじゃないか」とプラス思考で捉えるように、『菜根譚』は諭すのです。そう思うことで、気持ちが軽くなり、前向きに生きられると教えてくれます。
『菜根譚』の特徴は、フレーズが逆説的で、対句になっており印象に残りやすいこと。例えば、「一歩を譲ることにより、実は、前に進む」と説いています。他人に寛大に接していれば感謝され、いずれ自分もメリットを享受できるというわけです。「情けは人のためならず」という日本の諺にも通じる考え方でしょう。また、「人の小過(しょうか)を責めず、人の陰私(いんし)を発あばかず、人の旧悪(きゅうあく)を念わず(おもわず)」という一節があります。他人のわずかなミスや過去の失敗を責めたり、私情を暴いたりしないことが、良好な人間関係を保つ秘訣だというわけです。また上司の心得としては、部下を叱らなければならない場合、「他のことに結びつけて、それとなく注意したほうが良い」と助言しています。あからさまに厳しく叱責したりすると、部下は反省するよりも「恥をかかされた」と考えてしまい、上司を恨みかねないからです。
『論語』と『菜根譚』は、時代は違えども、人々が心の拠り所を失いかねない乱世に著されました。そして、数多の書物が生まれては消えた中国史において、千年以上人々に読み継がれてきたわけです。
人心を動かすなら、力やテクニックに頼らず、まず自らが考え方や行動を改め、人心に訴えかけるべきであるという方法論でも、両書は共通しています。この点も、他者に対する思いやりや優しさの重要性が改めて問われる現代社会にマッチしているのではないかと、私は考えています。
虚実様々な情報があふれる現代社会では、最後は自分で判断するしかありません。これらの書が、指針として役立つのではないでしょうか。
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