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人生の先達に学ぶ「頑張りすぎない生き方」のススメ

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2013年に出版された『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)をきっかけに、哲学者の言葉がかえりみられる機会が増えています。「ありのままに生きることの大切さ」を説く同書のメッセージに惹かれ、多くの人たちが、生きる指針を求めるようになったのでしょう。そこで、哲学者が語る「頑張りすぎない生き方」について解説してもらいました。

構成:野澤正毅 
撮影:石橋素幸 
編集:プレジデント社

※次回(2023年)のインタビューはこちら(BILANC vol.29)

諦めるにしろ、努力するにしろ、大事なのは「満足」すること

BILANC15「哲学」小川先生 山口大学 国際総合科学部 准教授
小川 仁志 氏(おがわ・ひとし)
京都大学法学部卒業後、伊藤忠商事に入社。その後退職し、フリーター生活などをへて名古屋市役所に入庁。勤務のかたわら大学院に通い、2008年に博士(人間文化)を取得する。同年より学生や市民を対象にした「哲学カフェ」を主宰し、その経験を『哲学カフェ! 17のテーマで人間と社会を考える』(祥伝社)として執筆。そのほかの著書に『悩みを自分に問いかけ、思考すれば、すべて解決する』(電波社)など多数。

~悩みを消し去る「力を抜く」価値観

意外に思うかもしれませんが、哲学は、物事の見方や考え方、人間のあり方について探究する学問なので、人生や仕事の悩みの解決にも応用できます。そこで、ここでは今注目されている「頑張りすぎない生き方」について、なぜ人生に役立つのかを、先哲の言葉を借りつつ、哲学の立場から考えてみることにしましょう。
頑張りすぎない生き方がもてはやされているのは、社会がストレスフルになっていることと、密接な関係があるでしょう。高校や大学の受験、部活動、就職活動、恋愛や結婚......。考えてみれば、人生は競争の連続です。私たちは、「頑張らなければ社会で生き残れない」といった価値観を植えつけられ、競争に駆り立てられてきました。しかし、私自身もそうですが、ほとんどの人は、頑張っても人生が思い通りにならなかったのではないでしょうか。とりわけ、真面目で完璧主義の人ほど、結果が出なかったときのショックは大きく、悩みも深いはず。頑張りすぎない生き方は、そんな競争社会のアンチテーゼとして求められるようになったのでしょう。無理をせず、ストレスをためないように自分をコントロールし、人生や仕事をうまく回すための処世術ともいえます。
ただし、注意すべきなのは、「頑張りすぎない=サボる」ではないということ。社会からの逃避や自暴自棄が、頑張りすぎない生き方とは違うことを、よく理解しておかなければなりません。

~カッコいい生き方とは「諦められる人生」

頑張りすぎない生き方とは、前向きな意味で「人生を諦めること」であり、次の三つのパターンがあると私は考えます。
一つ目は「苦しみからの解放としての諦め」。人間が頑張るのは、「成功して財産や地位、名誉を得たい」といった欲望があるからでしょう。しかし、欲望には際限がありません。成功したとしても、さらに大きな成功を追い求めて、頑張る=苦しむことになります。ショーペンハウアーは、「富は海水に似ている。飲めば飲むほど、のどが渇く」といっています。そこで、いっそ欲望を捨て去れば、苦しみもなくなると、ショーペンハウアーは説くのです。
もっとも、何も望まなければ、人生で何も得られません。それに対して、二つ目の「戦略としての諦め」であれば、人生の目的をすべて放棄しなくてもいいのです。ラッセルは、賢人は避けられない不幸に対して無駄な努力をしないといっています。不幸を避けるのに必要な努力が、「重要な目的の追求を妨げるようであれば、不幸を甘受する」ともいっています。つまり、頑張らないほうが合理的で、人生を有意義に過ごせるケースでは、"諦める"というわけです。またラッセルは、諦めには「絶望に根ざすもの」と「不屈の希望に根ざすもの」の2種類があるといい、後者を肯定しています。例えば、核兵器廃絶運動をしている人たちは、「自分たちが生きているうちは実現できないだろう」と、考えているかもしれません。しかし将来、核兵器のない世の中になったとしたら、その人たちの不屈の希望がかなえられたことになります。
とはいえ人生では、希望がかなう可能性がまったくないこともあります。そんな場合は、三つ目の「諦めそのものに酔う」という対処法もあります。
九鬼周造は、江戸の花街で生まれた「いき」という独特の美意識に着目しました。いきについて、九鬼は「垢抜けして(諦め)、張りのある、色っぽさ」と表現しています。花街では、芸者に振られても深追いせず、スマートに身を引くのが、「垢抜けした」態度とされました。つまり、" 諦め" そのものが、「いき=カッコいい」というわけです。そういうふうに思えば、仕事で失敗をしたり、恋人と別れたりしても、引きずらずに気持ちを切り替え、次の新しい人生に踏み出せるでしょう。日本人ならではの、現実的な"頑張りすぎない生き方"ではないでしょうか。

~もちろん努力もOK!その先には「成長」が

一方、多少の苦難が伴っても、「諦めずに目標に向かって頑張りたい。達成感を味わいたい」という努力家タイプの人もいるでしょう。そうした人は、頑張らないと後悔につながり、かえってストレスが増えることもあります。そこで、3人の哲学者の言葉を引用して、努力家の人にもエールを送りましょう。
人生で挫折したとき、支えになるのが、「高く登ろうと思うなら、自分の足を使うことだ」というニーチェの言葉。「倒れても自力で立ち上がれ」と、ニーチェは鼓舞するのです。また、サルトルは、「人間は自らがつくったところのものになる」といっています。努力次第で人生はいかようにも変えられると、サルトルは伝えたかったのでしょう。
ヘーゲルは陶冶(とうや=才能・性質などを練ってつくりあげること。)を重視して、「労働によってこそ、主観的意志そのものが己おのれのうちに客観性を獲得する」といっています。労働とは自分を磨くことであり、それによって人間は社会的に評価されると、ヘーゲルは考えたのです。努力をすれば、たとえ結果が出なくても、自分の成長につながるので、必ず報われるというわけです。
私は、精神的に安定して、満足感を得ることが、人生にとって最も大切だと考えています。実は、諦める生き方も、努力する生き方も、人生で"満足感を得る"という目的においては同じ。その人の性格や人生の局面によって、使い分ければいいことなのです。「頑張りすぎて疲れた」と感じたときは、自分に向いている「諦め方」を選び、「もっと頑張りたい」と感じたときは、元気になれる「励ましの言葉」を思い出していただければ幸いです。

BILANC15「哲学」小川先生図表

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