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大人の今がはじめ時。 クラシック入門

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構成:秋山真由美 
撮影:中西ゆき乃  
ヘアメイク:Chica  
編集:プレジデント社

BILANC32「アート」のある生活 加羽沢美濃先生 作曲家・ピアニスト
加羽沢 美濃氏(かばさわ・みの)
1997年、東京藝術大学大学院在学中に日本コロムビアからCDデビュー。作曲家としてオーケストラ、室内楽などの作品を発表するほか、映画や舞台音楽も手掛け、作編曲も行う。近年では、作曲家の視点からクラシックをわかりやすく解説するレクチャーコンサートや、ジャンルの垣根を越えたコラボ企画公演などを全国各地で開催。『題名のない音楽会』『名曲リサイタル』『ららら♪クラシック』では司会を務めたほか、テレビやラジオ番組にも数多く出演。

「クラシックはわからない」と思っている人も、実は聞いたことがあるという曲は意外と多いもの。タイトルや作曲家は知らなくても、身近な生活の中に多く存在し、知らないうちに耳にしているのがクラシック音楽です。
私は3歳でピアノをはじめ、大学で作曲を学びましたが、クラシック音楽を学ぶものであれば常識ともいえる「『G線上のアリア』の作曲者はJ.S.バッハである」ということも知らなくて呆れられたこともあるほど。テレビのクラシック音楽番組の司会を長年務めた時は、毎回事前に曲や作曲家について調べ、「この曲にこんな背景があったのか!」と驚いていたくらいですから、音楽の知識量は皆さんとそんなに変わらないと思います。

~知識は必要ない。まずは楽しさを感じて

そもそも、今まで知らなかっ た曲も、今日知ることができれば、30年前から知っていた人と同じ。むしろ先入観はないほうがいいんです。まずはとにかくクラシック音楽に触れてみることが大事です。
そのためには、CDやインターネットの音楽配信サービスなどで生活音として流しつつ、日常生活に取り入れるのもいいですが、断然、生のコンサートがおすすめです。最初は、初心者向けのわかりやすいコンサートがいいと思います。
私はヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんと“CHISA&MINO”というユニットを結成していて、2023(令和5)年4~7月には結成25周年を記念した「25th Anniversary 高嶋ちさ子&加羽沢美濃 ~ゆかいな音楽会~」を開催し、全25公演(延べ3万人動員)のツアーを完走しました。初心者の方にも楽しんでもらえるように、なるべく5分以内の有名な曲をセレクトし、トークでは曲にまつわるエピソードも盛り込みます。すると、子どもから大人まで、リズムに乗って一緒に盛り上がってくれるので、見事な一体感が生まれます。まずはそうやって、「楽しい」と感じること。何度か足を運ぶと、自分の好みや相性に気付くはずです。
最近は、個性的なキャラクターの演奏家が多いので、自分好みの人を見つけるのもいいですね。好きだと思う曲、楽器、作曲家、あるいは演奏家を見つけたら、今度はそれにフォーカスしたコンサートに足を運んでみてください。最終的には、大編成のオーケストラによるクラシックコンサートに足を踏み入れて、豊かで迫力のあるクラシック音楽の醍醐味を存分に堪能してほしいと思います。

BILANC32「アート」のある生活 加羽沢美濃先生

~クラシックを知ることで音楽の聴き方が変わる

コンサートでは、私たち演奏家はそれぞれの楽器の音と音で会話しています。出だしの音を聴けば、お互いの今日の体調や機嫌が一発でわかるほど。多くの楽器で編成されるオーケストラになると、その会話の密度がとても濃くなります。同じオーケストラでも、指揮者によって、その音が異なるのも魅力の一つです。
また、演奏家のふるまいに着目して鑑賞するのも面白いかもしれません。例えばオーケストラのヴァイオリンは、1つの楽譜を2人で共有しているのですが、楽譜をめくる奏者が、さりげなく自分が見やすくなるよう楽譜を寄せてる! なんてことがあります。この手の面白エピソードをはじめ、鑑賞する視点がたくさんあるほど楽しみ方も増えると思います。
美しい音楽を聴くことは、きれいな景色を見たり、おいしいものを食べて幸せを感じたりするのと似ています。落ち込んだり、悩んだりしていても、美しい音楽に触れれば、「明日もがんばろう」と、人生を前向きに生きるためのエネルギーがもらえます。私はコロナ禍で特にそれを痛感しました。
演奏会が中止になり、外出もできず、おしゃれもできず、潤いがない日々を数カ月過ごしたあと、久しぶりにコンサートに足を運んだときには、最初の1音で思わず涙がこぼれました。人の奏でる音の温かさが、まるで乾いた肌を潤す化粧水のように、自分の心に沁み込んでいくのを感じたのです。
もちろんクラシックだけでなく、ポップスでも、ロックでも、ジャズでも、好きな音楽が生活の中にあることはとても素敵なことだと思います。私自身もポップスが好きでよく聴きます。ただ、クラシックは、これら今の音楽の源流です。響き方、音の作り、コード進行など、現代のあらゆる音楽はクラシックを土台にして、その上に成り立っています。
そのため、クラシック音楽の良しあしや美しさをわかっているのとわかっていないのでは、自分の好きな音楽の聴き方の幅が違ってきます。クラシックを聴いた上で、「リズミカルな曲のほうが好きだな」というように自分の好みを知り、「それはなぜなんだろう」と掘り下げていくと、さらに豊かな音楽の世界が広がっていくのではないでしょうか。

~奥深さと魅力は年を重ねるほどわかる

クラシックの中でもオペラは、他のジャンルの音楽に比べて演奏時間が圧倒的に長い。現代の生活スタイルでは、なかなかハードルが高いかもしれません。かくいう私も長い曲を聴くと眠気に襲われ、特に若い頃はクラシックコンサートが苦手でした。ところが、素晴らしい演奏をたくさん聴いたことによって、最近やっとその温かさや深さを理解しはじめました。
私の大好きな曲に、ロシアの作曲家チャイコフスキーの「交響曲第5番 ホ短調 作品64」があります。今まで何度も聴いてきましたが、全曲を通して聴くと40分以上かかるので、途中で「長いな……」と感じることもしばしばでした。それでも繰り返し聴き続けたことで、第2楽章のメロディーの美しさを発見できたのです。まるで辛い断食が明けてご飯が食べられた時のような感動でした。
クラシックは、人生を重ね、いろんな経験をすればするほど、素晴らしさがわかる音楽だと思います。メロディーの美しさ、楽器の音色の表現の幅、一つひとつが心に沁みます。いつの時代も作曲家は、切ないこと、悲しいこと、苦しいこと、誰にも言えない自分の思いや経験を、誰かと共有したくて曲を作っています。作曲家が人生を賭けて作った曲に「自分にもこんな時があったな」「自分の悲しみもこうだな」と、自分の人生を投影することができるのは、40年、50年と年を重ねてきた大人だからこそ。若い頃にその良さがわからなくても、大人になって心のひだのようなものが増えてきた今なら、苦味も渋味も複雑な味わいも全部おいしく感じられるはずです。
最近潤いが足りないなと感じている皆さんにこそ、クラシックを生で聴いてほしいと思います。きっと沼にハマっていきますよ。

BILANC32「アート」のある生活 加羽沢美濃先生

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