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教育の将来像に向けて

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新型コロナウイルスの感染拡大がきっかけとなって、今後、大学のあり様は大きく変化しました。当財団の理事長でもある学校法人玉川学園理事長の小原芳明先生に、私立学校ならではの教育の将来像についてお話を伺いました。
 


※2021年8月発行BILANC vol.25に掲載
構成:八色祐次 
撮影:加々美義人 
編集:プレジデント社

※前回のインタビューはこちら(BILANC vol.16)

教育の将来像にむけて
連携強化とシームレスな学びの構築

BILANC25「私立大学等の今を聞く」小原芳明先生 学校法人玉川学園理事長・玉川大学学長・玉川学園学園長
小原 芳明氏(おばら・よしあき)
1994年、玉川学園理事長に就任後、小学校レベルでは初となるテレビ会議システムによる国際交流プログラムを開始するなど、時代の流れに応じた教育改革に着手。2007(平成19)年には国際バカロレア(IB)プログラムを導入、16年には3歳と6歳を対象にした日本語・英語バイリンガル教育を開始した。

~ キャンパスの意味が転換!?

新型コロナウイルスの感染拡大がきっかけとなって、今後、大学のあり様は大きく変わっていくのではないでしょうか。もちろんそのきっかけは、オンライン教育です。
1990 年代の後半に、「インターネットが完備されることで大学へ通わなくても知識を得られるため、キャンパスはいらなくなるのではないか」と予測した書籍が出版されました。実際にキャンパスがなくなることはありませんでしたが、皮肉なことにコロナ禍によってその世界が現実味を帯びてきたように思います。
外出自粛によって多くの大学がオンライン講義を導入。一時的とはいえ、キャンパスから学生が消えました。コロナ禍での今回の処置は緊急避難的なものでしたが、オンライン講義に可能性を感じた大学は少なくなかったと思います。玉川学園としても、オンラインに適した教育法や、機器をはじめとしたハードに関する調査研究の必要性を感じて「EdTech andContents Center」の設置を検討しているところです。
1990年代後半は、オンラインによる教育を具体的に検討できるほど、ネットワーク環境や通信技術が進んでいませんでした。それが今や5G(ファイブジー)時代となり、さらにこれからの6G(シックスジー)の時代になれば、通信環境は大きく進歩します。これによりオンライン講義が広く普及すれば、私たちが慣れ親しんできた“校舎があって、学生が通う”という大学のイメージは過去のものになり、大学は知識の情報発信基地となっていくかもしれません。

~ 大学は戦略的な連携強化を

大学へ通う必要がなくなれば、通学距離という壁がなくなり、学生は好きな大学で学びやすくなります。さらに、履修証明が各大学共通のものとして確立されたならば、124単位すべてを一つの大学で履修する必要性も薄れていきます。
その結果、「この単位はA大学で、この単位はB大学で」といったように複数の大学で単位を取り、C大学の卒業生というブランドが欲しいために学士はC大学で取得する学生が出てきてもおかしくありません。
また、履修証明が共通化されれば、科目ごとに学生数の偏りが出てきます。A大学のある科目は分かりやすくて単位も取得しやすいとなれば、当然、学生が集まるからです。そうなると、大学は全科目を維持するのが難しくなります。そもそも学生を確保することができない大学も出てくるはずです。
このような難局を乗り越える戦略の一つが、大学間の連携(グループ化)だと考えています。大学の科目を、“その大学でしか学べない”ものと“どこの大学で学んでも大きく差はない”ものに区分し、後者をグループ化した大学で分業していこうというものです(図表①参照)。難局を乗り越えるための一策として吸収合併が検討されることもありますが、吸収合併では、吸収された大学の建学の精神は失われてしまいます。共通化できる科目を各大学で負担し合うグループ化であれば、建学の精神が失われることはありません。加えて、その大学でしか学べない科目を設置することで、大学の特色を出すこともできます。

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~ 修得主義の要素をプラス

私は以前から、義務教育段階において履修主義に修得主義の要素を導入するべきだと主張しています。理由はいろいろありますが、例えば、高等学校や大学の入試は修得を前提にしているからです。もちろん社会も実力主義です。実力をどれだけ身につけているかが問われるわけです。
しかし、日本の義務教育は小学校から履修主義ですから、教育課程の授業を“受けさえすれば”内容が修得できていなくても進級できてしまいます。ここに問題点があると考えます。一生懸命勉強する子供は着実に力を伸ばしていきます。一方、「学校に来るだけでいい」といわれて放置された子供は、気が付いたら九九も満足にできないまま中学校が終わっていたということになりかねません。
義務教育の9年間で両者の間に生まれた学力の差は、容易に埋められるものではありません。実際、九九ができないまま進学してしまい、苦労する生徒の話を聞いたことがあります。高校の授業についていけないことに気付いたとしても、教師には相談しづらいでしょう。友達に聞くのも恥ずかしいかもしれません。誰からも助けを得られないまま時間が過ぎていけば、ますます授業から遅れていき、周囲との差は開いていく一方です。その結果、不満がたまり、はけ口を求めて荒れていく生徒が出てきてしまいます。これは、履修主義が引き起こした悲劇と言えるかもしれません。
海外では小学校1年生から留年があり、教師、子供、親という三者の共同責任であることを認めて、留年させるのだそうです。
日本では、社会性を身につけ、広く多様な児童・生徒の発達段階における個にあった資質・能力の育成を図るという観点から、現在の履修主義を採用しているとも言えます。一方、教育の目標達成、学習の内容を修得させる修得主義は、留年とまで言わずとも早くやり直しが利く方法です。であれば、履修主義に修得主義のメリットを加えたほうがいいでしょう。

~ 進学の“継ぎ目”をなくす

もう一つ、教育の課題を挙げるなら、幼稚園、小学校、中学校、高校、そして大学と進学するにあたり、部分的には一貫教育があるとはいえ、その継ぎ目が教育の効率を低下させていると考えています。公教育はさまざまな児童・生徒に対応する必要があるので難しいと思いますが、これを私学で、幼稚園から大学までの一貫教育を行えば、継ぎ目が原因で学習が遅れる教科の受講タイミングなどを調整することができます。積み重ねてきた学びを引き継げるので、教育効果も高められます。さらに、学校法人で所有している施設を有効利用できるため、経営的負担を軽減することができます。
また、前述の大学のグループ化を進める上でも、義務教育の段階から修得主義を導入し、基本的な力をつけて大学に入学してきたほうが合意を得やすくなるのではないでしょうか。グループ全体のブランド価値を高める意味でも、大学では修得主義を貫いていくべきでしょう。
教育の価値は本来卒業時点で測られるべきものだと考えています。「入り口」で考えられがちな大学の評価を根本的に改めることが必要です。大学での学びを通じて、胸を張って社会にはばたく人材を輩出できる高等教育を目指して行きたいと思っています。

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※ 2021(令和3)年6月撮影

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