広報活動

「なぜ?」を鍛えて混迷の時代を生き抜く

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構成:野澤正毅 
撮影:石橋素幸 
編集:プレジデント社

情報があふれる時代だからこそ、すぐに答えを求めず熟考するべき

BILANC18「価値観」柴田先生 翻訳家
柴田 裕之氏(しばた・やすし)
早稲田大学、米国Earlham College卒業。主にノンフィクションの翻訳を手がけ、2016(平成28)年『サピエンス全史』、2018(平成30)年『ホモ・デウス』(ともにユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房新社)がベストセラーに。そのほかの訳書に『叛逆としての科学』(フリーマン・ダイソン著、みすず書房)、『神々の沈黙』(ジュリアン・ジェインズ著、紀伊國屋書店)などがある。

~今こそ、既成概念の意義を問い直すべき

私が翻訳したイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ博士の『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』は、おかげさまで、日本でも大きな反響を呼びました。ハラリ博士は2つの著書を通じて、言語を獲得した人類が、宗教や思想、法治国家といった“巨大な虚構”をつくり出したこと、そうした虚構が文明を発達させて世界中に広め、人類に富と繁栄をもたらしたことを解き明かしました。
しかし、高度な文明がビッグデータやAI(人工知能)をも生み出し、AIによる人類の支配という新たな危機を招いたことも、ハラリ博士は警告しています。私は、海外のさまざまな著作の翻訳を手がけてきましたが、とりわけ、既成概念を覆してしまうハラリ博士の斬新な考え方には目をみはりました。そしてハラリ博士の着想の源が、ある出来事に対して「なぜ」と問う力―いわば「疑う力」にあるのではないかと考えるようになったのです。
ハラリ博士が疑う力を培ったのは、彼自身の生い立ちが多分に影響しているのでしょう。ハラリ博士はユダヤ人として、イスラエルの国民として、幼少のときから宗教や国家の激しい対立を目の当たりにしてきました。そして、どのような人生観や価値観を選ぶべきかを迫られ、思い悩んだ末に、宗教や国家にも鋭い疑いの目を向けるようになったのでしょう(図表①参照)。

BILANC18「価値観」柴田先生図表

さらに、イスラエルを飛び出し英国に留学したことで、いよいよ開眼したのではないかと推察します。世界に多様な価値観が存在することを知ったハラリ博士は疑う力、すなわち、既成概念にとらわれずに物事を見きわめる力を身につけたのではないでしょうか。

厳しい疑いの目は「自分自身」にも向けていきたい

~翻訳者も科学者も「疑うこと」が出発点

実は翻訳という仕事にも、疑う力が求められます。ある言語の意味を異なる言語で正確に表現するのは、想像以上に難しいことです。だから自分の解釈や表現が適切かどうかは、いつもしつこいほど疑ってかかることになります。それに原著者も人間なので、たまに勘違いすることもあります。私自身、原著を訳そうとしてみても意味が通らず、思い切って著者に問い合わせてみたところ、誤りが判明したことがありました。また、ネット上の情報はもとより、活字になっている資料も、鵜呑みにしないよう心がけています。
ハラリ博士の著書を翻訳しているときも、私は頻繁に質問しました。それで翻訳が終わったとき、ハラリ博士にお礼を申し上げたところ、こんなお返事をいただきました。
「翻訳者は科学者に似ています。科学者が、もし何も疑問を投げかけず、自分がよく理解していると確信していたら、それはろくな科学者ではありません。翻訳者も同じです。あなたから、質問をしてもらってよかった」
ハラリ博士の疑う力の真骨頂を、私は垣間見た気がしました。例えば一部の宗教は、教義を“正しいこと”としてむやみに信じ、その神性、万能性を魅力的にすることを重視するあまり、変化することができません。対して科学は、仮説を立てたのち実験などで検証し、誤っていれば否定することで、真実に近づいていきます。人類は科学を根拠としたからこそ、現代の高度な文明を発達させたというのが、ハラリ博士の主張なのです。

~ときには偏見が必要なこともある

とはいえ、科学的に明らかにされた真実が、必ずしも“正しい”とは限りません。真実を突き付けられたからといって、その人が考えをすんなり改めるとも言い切れませんし、嘘も方便ということわざもあります。
皆さんは、同じ長さの2本の線が違う長さに見えたり、直線が曲がって見えたりすることがある錯視という現象をご存じでしょう(図表②参照)。錯視のおもしろいところは、「これは錯覚なんだ」と自分でわかっていても、やはり違って見えてしまう点にあります。錯視が、もしも人類の生存に欠かせない認知機能だったとしたら、「曇りのある目で見ることも、時と場合によっては必要なことだ」と示唆しているのではないでしょうか。そうすると、人間が持つたくさんのバイアス(偏見)にも、何らかの存在価値があるのかもしれません。

BILANC18「価値観」柴田先生図表

私たちは今、自ら招いた環境破壊やDNAの改変、核兵器の拡散といった脅威に直面しています。科学技術は人間が制御しきれないほど発達し、社会もあまりにも複雑になりすぎてしまいました。膨張する情報の海で、私たちはどのように振る舞えばよいのかがわからずに、漂っているのが現状でしょう。人は本来考える生き物ですが、すぐに答えをほしがるという思考停止の流れはなかなか変わらないでしょう。
そうしたカオスから抜け出すには、すべての物事に対して、「これは正しい」「間違っている」などと、すぐに決めつけることなく、立ち止まって考えることが肝心だと私は考えます。今の“ストーリー”を疑うのです。そのためには、目で受ける情報を一度断つのも手です。テレビなどの視覚的な情報は、思考を停止させるほどの影響力をもちます。
むしろ物事をありのままに許容し、「なぜ存在しているのか」と意味を問い続けることもまた必要でしょう。こうした力を培うためには、歴史を学ぶことをおすすめします。歴史の流れを理解することで、狭い視野から脱却できることもあるからです。
一方で、希望もあります。人々が国境を越えて行き交うようになり、インターネットでグローバルなコミュニケーションが取れるようになったおかげで、私たちは、さまざまな異なる価値観にも簡単に触れられるようになりました。今の子どもたちは、人種や文化などの異なる価値観に対して、逃避や拒絶もせず、寛容になったともいわれています。寛容になることは、歩み寄りを生むことでアウフヘーベンとなるのです。ハラリ博士も、人類の現状に警鐘を鳴らしてはいますが、人類の将来を決して悲観してはいません。新しい価値観を柔軟に受け入れられる若者たちの“疑う力”に、未来を託そうと考えているのではないでしょうか。

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