避けるべきは「セミリンガル」。間違いだらけの語学教育
これからの時代に備えて、自分の子どもをバイリンガルにしたいと考えている方も多いのではないでしょうか?
しかし、子どもをバイリンガルにする教育過程には思いがけないリスクが潜んでいます。
子育て真っ最中の親御さんにこそ知ってほしい語学教育の真実とは?
立命館大学大学院教授の田浦秀幸さんに詳しくうかがいました。
構成:秋山真由美
撮影:加々美義人
編集:プレジデント社
大切なのは、母語で年齢相応の認知能力を習得すること
立命館大学大学院 言語教育情報研究科 教授 田浦 秀幸氏(たうら・ひでゆき) 高度に2言語を操る子どもを対象にした言語獲得・保持・喪失に関する心理言語学的研究と、教育現場における効果的な第2言語習得(英語教育)についての研究を行う。著書は『科学的トレーニングで英語力は伸ばせる!』(マイナビ新書)など。 |
~科学的視点から見たバイリンガルの利点
これまでの研究を通じてわかったバイリンガルのメリットは、大きく二つあります。
一つ目は、クリエイティブ思考に脳の容量をうまく割くことができる点です。母のお腹の中にいる胎児は、妊娠6カ月頃からお腹の外の音を聞けるようになりますが、両親が国際結婚で、片親が英語話者であるなど、胎児の段階から英語に接する環境にいると、左脳の言語野だけを効率的に使って日本語と英語を話す力が自然と身につきます。
一方、ある程度成長してから英語に接すると、右脳を使って理解しようとします。右脳は本来、音楽や芸術などクリエイティビティな活動に関わる部分なので、早い段階で英語に接したバイリンガルの子どものほうが右脳を言語以外の部分に使えてクリエイティビティや発想力をより発揮できるということになります。
それから二つ目は、ワーキングメモリの柔軟性が高い点です。バイリンガルの子どもは2歳くらいになると、アメリカ人のお父さんには「water」と言い、日本人のお母さんには日本語で「水」と言うように、話し相手や話題によって、自然と言語を切り替えられるようになります。この現象は「コードスイッチ」と呼ばれ、1事象に関して物の見方が複数あるとの柔軟な発想に結びつくと考えられています。
~年齢相応の読解力と文章力を目指したい
「他人は、自分とは違う考えを持っている」と認識することを「心の理論」といいます。幼い子どもはこの認識力が弱く、他人も自分と同じように考えていると思い込んでいます。成長するにつれ、徐々に自己と他者の区別ができるようになるのですが、その時期は、一般的なモノリンガルの子どもで8~10歳くらいだと言われています。しかしバイリンガルの子どもだと3~5歳くらいで、他人の気持ちや他人の立場を理解できるようになります。
これが小学校低学年まで、バイリンガルの認知力の優位性につながります。
例えば、バイリンガルの子どもとモノリンガルの子どもに「夜のお空に見えるのはふだん“月”と呼んでいるけれど、今日だけは“太陽”と言ってね」と頼んだとします。どちらの子どももすぐに「わかった」と答えますが、しばらくして、月を指差して「あれは何?」と聞くと、ちゃんと「太陽!」と答えられるのがバイリンガルの子どもです。一方、モノリンガルの子どもは「わかった」とは言うものの、4~5分経つと言われたことを忘れてしまい、「月!」と答えます。7~8歳頃になると、モノリンガルの子どもでもだんだんと認知能力が高くなっていくのですが、バイリンガルの子どもはふだんからコードスイッチに慣れているためか、早い段階から「名前はただのラベルにすぎない」と理解しているというわけです。(図表①参照)
ただし、これらのメリットを享受するのにも条件があって、どちらか一つの言語で年齢相応のCALP(Cognitive Academic LanguageProficiency)を身につけていないといけません。CALPとは、認知学習言語能力、簡単にいうと年齢相応の国語力のことです。小学校4年生相応のCALPがあるということは、小学校4年生の国語の教科書に出てくる『ごんぎつね』を読んで、ごんの気持ちが理解できて、それを日本語の文章で書けるということです。
日本語も英語も年齢相応のCALPがあった場合、モノリンガルよりもバイリンガルのほうが、認知能力は上回ります。ただし、二つの言語ともに年齢相応のレベルで話せて、読めて、書けるという子どもは、世界中でも数%未満です。バイリンガルはそれほど貴重な存在ですが、子育てをするのであればそれを目指すより、どちらか一つの言語だけでも年齢相応のCALPを獲得することの方が実は大切だと私は思います。
~問題はセミリンガル。中途半端はよくない
ここで、子どもが言語を習得するまでの流れを簡単に説明しましょう。赤ちゃんの聴覚は、妊娠6カ月頃から発達し始め、お腹の外の音や話し声を聞けるようになります。生後1歳くらいで意味のある単語を話し始め、2歳になると操れる単語数が爆発的に増え、5歳までには母語の基礎ができあがります。
6~7歳の頃には、聞いた言葉を文字と結びつける「マッピング」が徐々に起こり、10歳頃になると母語を使って抽象的な思考ができるようになります。そこから先は、敬語や難しい語彙、表現などを習得しながら、CALP(認知能力)を育てていくことになります。
CALPと対になるのが、BICS(Basic Interpersonal CommunicativeSkills)といわれる日常的な会話(言語)能力です。日本の子どもがアメリカに行くと、通常BICSは1~2年で習得できます。しかしCALPの習得には6~10年ほどかかるので、認知能力が順調に育っている小学生の段階で教育言語が変わると、新言語(英語圏なら英語)でのBICSを身につけながら、日本語CALPの伸長を継続しないと、どちらの言語でも年齢相応に達していない不幸な状況に陥ります。
例えば、5歳の時に日本からアメリカに移住すると、2年もすればBICSを習得して英語をペラペラ話せるようになるでしょう。ところが、5歳までは日本語で育っていますから、CALPは5歳のままです。つまり、5歳で英語環境に行くとBICSを身につけるのに最初の2年間を費やし、それから英語での読み書き能力を身につけることになるので、同級生と同じCALPが身につくのは、早くても中学校入学のころです。この間の認知力伸長は、日本語で行う必要があります。この教育言語激変の状態が「セミリンガル」で、私は避けるべき状態だと主張しています。
日本人だから日本語は自然にできるようになるだろうとか、現地に行けば現地の言葉を自然に覚えるだろうと安易に考えるのは危険です。大切なのは、自分の子どもに年齢相応の国語力があるかどうかをしっかり見極めること。そして、母語だけでもしっかりCALPを習得させてあげるのが親の一番の責務だと思います。英語学習はそのあとで十分です。
バイリンガルの認知力は、CALP力によって大きく3段階に分かれます(図表②参照)。
一般的にバイリンガルは、2言語でBICSを持っているので羨望の対象になりますが、認知面から見ると、1言語で年齢相応のCALP力があるのはモノリンガルと同等で、2言語とも年齢相応レベルのCALPに到達して、はじめて認知的に優位に立つのです。保護者や教育者が最も気をつけないといけないのは、両言語ともにCALP力が年齢相応にない子どもの対応です。
日本語訛りでも、信念があれば意思疎通できる
~子育てにおいて何が一番大切かを考えよう
日本語と英語では単語や文法がまるで違いますが、概念や常識、意見は、言語が変わっても同じです。小学校でしっかりと勉強することで、母語で年齢相応のCALPが身に付くので、それをベースに中学校から英語の勉強を始められます。
英語学習にはたくさんのエクスポージャー(接する)とインタラクション(やりとり)が大事です。人間は何歳になっても学習することでニューロン(脳神経細胞)の結びつきは変化していくので、学習すればするだけ、英語力が身につきます。逆に、5歳までアメリカで過ごし、英語がペラペラだったという子どもでも、その後日本に帰国して小学校に入り、英語を使わなくなると、あっという間に英語を話せなくなってしまいます。私が英語の勉強を始めたのは、ほとんどの人と同じように中学校に入ってからです。通算5年間大学・大学院での研究を英語圏で行えたのも、日本語でのCALP力を英語使用時に転移できたからです。
国連での議論を見ると、国家間の議論には高いCALP力が必要ですが、それぞれの代表者でアメリカ発音や英国発音をしている人は、多くはありません。
みんな母国語訛りの英語ですが、国を代表して真剣に議論を闘わせていて、しっかりとコミュニケーションができています。これは高いCALP力がしっかり身についているからです。発音が上手かどうかは関係ありません。そのための基礎を学ぶのが中学・高校であり、この時期にしっかり文法や語彙を身につけることができれば、その後は努力次第でどうとでもなります。ましてや小学校では、“L”と“R”の区別ができたり、発音がネイティブレベルになったりすることよりも、「英語が楽しい」「英語をもっと話したい」と感じてもらうことの方が大事なのではないでしょうか?
さらに言えば、日本語も英語もペラペラ話せるバイリンガルを育てていくことと、日本語しか話せないけれども親からの愛情をたっぷり受けて、CALPがしっかり育まれ、感性豊かな一人前の大人を育てていくことと、どちらが大事でしょうか?
「子育てにおいて何が一番大事なのか」をよく考えてみると、世の中にあふれる語学教育の間違った情報に惑わされずに済むのではないかなと思います。